みなさん、初めまして。
カネパッケージ・インドネシアの代表を務めさせていただいている松田基(まつだもとい)と申します。
私は2016年に、カネパッケージのメキシコ拠点立ち上げに参画した後、2021年からインドネシア拠点に転籍。営業責任者を3年間務めた後、今年2月に拠点長に就任いたしました。
私は10歳で日本を離れてから現在にいたるまで、ずっと海外生活です。私のこれまでの経歴を会食の際などにお話をさせていただく機会があるのですが、みな興味深く聞いてくださいます。
そこで今回は、自己紹介を兼ねて、私の経歴についてお話させていただきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
10歳で日本を離れ、北米へ
私は1970年、京都に生まれました。10歳のときに父親の駐在に帯同し、北米へ。
以来、中学、高校、大学と北米で過ごし、大学卒業後は現地の自動車パーツTier 1(ティア1)サプライヤーに営業マンとして就職しました。
営業対象は北米に拠点を持つ自動車メーカー。GM、フォード、クライスラーなど、米大手自動車メーカーを中心にたくさんのパーツを買ってもらいました。
以降、北米にて営業マンとして勤務していたのですが、30歳のときに転機が訪れます。
激動の東アジアへ
1997年頃から香港や台湾といった東アジアへの出張が増えていました。実は私が勤めていた自動車パーツメーカーは台湾資本の企業。現地のGM(ゼネラルモーターズ)に対し、営業攻勢をかけるため、私が北米から駆り出されていたというわけです。
1997年といえば、香港返還やアジア通貨危機が起こった年。中国は急激な経済成長を始め、東アジアは激動の真っただ中にありました。
長期出張を繰り返し、30歳を迎えた2000年、台湾本社への転籍が決定。台湾を拠点に、香港や中国、韓国など東アジア全域への営業攻勢がはじまりました。
当時、中国本土における自動車産業の勃興を間近で経験したことは、今も大きな財産になっています。
その後、韓国での駐在期間を経て、40歳で再び転機が訪れます。
シンガポール資本の自動車パーツメーカーからヘッドハンティングを受けたのです。
40歳でシンガポールへ
そのシンガポール資本の自動車パーツメーカーは、トヨタさんやホンダさんといった日系自動車メーカーに営業できる人材を探しており、そこで私に白羽の矢が立ったというわけです。
シンガポール資本ですが、拠点は香港でした。香港を拠点に日系自動車メーカーへの営業責任者として、5年ほど勤務するのですが、その中で、カネパッケージとの出会いがありました。
シンガポール企業の内紛もあり、今後の進むべき道を考えていた頃、カネパッケージの代表取締役社長である金坂から、メキシコ拠点立ち上げの相談をいただいたのです。
カネパッケージのメキシコ拠点立ち上げにジョイン
カネパッケージとはシンガポール企業のときから取引がありました。対応が誠実で、仕事も早く、良い企業だと思っていましたし、何よりメキシコ拠点立ち上げという挑戦に携われる大きなチャンスだと思い、カネパッケージにジョインすることを決めたのです。
2016年からメキシコに赴任。もちろん担当は営業です。
「ついに北米の自動車産業に戻ってきたぞ」
メキシコの地を踏んだとき、そう思ったことを今も覚えています。
拠点を立ち上げてから、3〜5年は投資フェーズとして、赤字が続く計画です。
人件費の高さなどに悩まされながら、改善を繰り返し、これからというタイミングで2020年を迎えます。
コロナショックがメキシコを直撃
忘れもしない2020年。今年こそという意気込みもつかの間、コロナショックがメキシコを襲います。
ご存知のとおり、メキシコはアメリカと国境を接しているのですが、アメリカ側の国境でトラック運転手に対するコロナ検査が義務化されました。
ただでさえ渋滞する国境。これにより北米への運送が麻痺状態に陥ったのです。
先が見通せないコロナ禍。サプライチェーンも世界的に大きな影響を受けていました。
カネパッケージは2020年中にメキシコ撤退を決断。
私はメキシコからインドネシア拠点に移ることになったのです。
2024年、インドネシア拠点長に就任
2021年1月1日からインドネシア拠点で、営業責任者として勤務をスタート。インドネシアに呼ばれたのは、お客様の大半が自動車業界だったからです。
当社はインドネシアのほか、フィリピン、ベトナム、タイに海外拠点を構えていますが、拠点により取引先の業種は異なります。医療機器メーカーが主要顧客の拠点もあれば、カメラメーカーが主要顧客の拠点もあります。
私は営業畑一筋30年です。30年間、ずっと自動車業界に携わってきました。
さまざまな国でサプライヤーとして自動車産業を見てきました。
インドネシアに関して言えば、昔はTier1、Tier2は日系のみでしたが、今はローカルも参入しています。
ローカルは日系の背中を追い、技術や品質を高めてきました。
技術移転が進めば、我々日系サプライヤーの存在意義は薄れていきます。
これからもインドネシアで必要とされる存在になるために、私たちは今、変わらなければなりません。
私がインドネシア拠点長として、やるべきことは、“改革と挑戦”です。
タイで猛威を振るう中国EVの脅威は、インドネシアでもすぐそこまで迫っています。
大胆な改革と新分野への挑戦。
これからこのブログを通じて、私松田の挑戦をお伝えしてきますので、応援していただければ嬉しいです。
まず一緒にやりましょう!
私の信条は、「まず一緒にやりましょう!」です。
英語では、「Yes, We CAN !」になるでしょうか。
あなたの梱包のお困りごとを、まずは聞かせてください。
「梱包のことなら、カネパッケージの松田に相談すれば、なんとかなる」
インドネシアの日系企業のみなさまにとって、そんな存在になれるよう挑戦を続けてまいります。
次回は、「カネパッケージインドネシアの4つの強み」として、当社のこれまでの強みとこれから強みとなるものについて、お話させていただく予定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。